「学校に、友だちがいなかった」というキミへ
「ことば」が、人から人へと伝わっていくとき、わずかずつの「誤解」が、「理解」の中にまじってくるのが普通です。そう考えた方が、自然だと思います。何しろ「ことば」はファジーだし、雲のように頼りないのが、人間のコミュニケーションです。「文脈」の誤解だけでなく、文章や単語の意味を取り違えるということもあります。
不登校の学生たちが集まる機会に、「受験対話」ではよく、「伝令ゲーム」をします。相手の言葉を受け取るとき、人はつい、先入観とか、思い込み、既成概念といった自分の「文脈」を、先に立てて受け取ろうとする傾向を持っているものなのですが、このことを、相手のメッセージに「バイヤスをかける」と言います。思い込みが強くて、素直に話を受け取らない。勘ぐりが激しい。なんでも悲観的に受け取る。それぞれが、個性あるバイヤスなのです。これを学生たちにわかってもらうために「伝令ゲーム」をします。
不登校の中学生468人にアンケートをとったことがあります。
学校で友だちができなかった理由に、「話しにくい人しかいなかったから」
と回答した学生が多くいました。内訳を紹介します。
・堅すぎる人、まじめすぎる人、すぐ反論する人、すぐ言い返す人
・劣等感の強い人、すぐ言い訳をする人、回りくどい人
・自分の話にすりかえたがる人、自分勝手な人
・しつこい人、すぐ命令する人、否定の多い人
・ちゃらんぽらんな人、人の話をちゃんと聞かず、他の話をする人
・反応のない人、自分の話に興味を示さない人
もっとありましたが、数が多かったのは、このあたりでした。
これを見ると、「話しにくい」と思うのは、当然ですよね。
反対に、学校にいてほしかった「話しやすい人」については、
・あの人ならば、聞いてもらえそうな気がする。あの人と話していると、つい話し込む。あの人が来ると、話がはずむ…
などが、多くの子が書いていたことです。
この子どもたちと、夏の1か月間、合宿をしてしっかり向き合いました。
そこでわかったことです。学生たちが言う話しかけやすい人というのは、オープンネス、門が開いているということでした。性格的なものもあるでしょが、「対話」に対する姿勢が、開かれている人のことでした。「あの人ならば」というのは、信頼性と包容力です。受け止めてくれるだろうという安心感が働きます。つい話し込んでしまうのは、相手が、積極的に受け取る姿勢を持っているからで、話の内容や、自分に関心を持ってくれるからです。共感する精神を持っている人、ということもできます。
総じて言えば、相手の「文脈」に柔らかくアプローチできる人であり、「ことば」を確かに受け取ってくれる人です。自分の評価を先に立てずに、まずは素直に理解するゆとりのある人、すなわちバイアスをかけずに受け取れる人なのです。
しかし、このような教育は、日本ではやってしません。不登校になった子どもたちの中には、この点に気づいている子がたくさんいました。
だったら、「まず自分が、その話しやすい人になろう」というのが、この講座の目的の一つになりました。

昔、アメリカの三大ネットワークの一つNBCが、毎日昼の時間に「パスワード」という、言葉のゲームの番組をやっていました。言葉のゲームには、いろいろな種類があります。いちばん多いのは、知識の広さで勝負するゲームで、記憶力と博識が勝ちます。その次に多いのが、ひらめきとか運動神経、感のよしあしを競うゲームです。これに対して「パスワード」は、読み取りのゲームだったのです。この「パスワード」ゲームを応用して、不登校のこどもたちが「読み取り力」を学べるゲームを新しく作りました。
「読み取り力」が高まると、不登校の子どもたちは、少しずつ話せるようになってきます。それは、このゲームをすることで、外界にあるものを読み取り、自分の中の言葉を耕し、育てることができるからです。学校に通っている子どもだったら、辞書を引いたり、本を読むのですが、ここでは、言葉と遊びます。ダジャレでもいい。尻取りでもいい。自分の言葉の揉み洗いをするのです。すると、さびついていた言葉への感覚が柔らかくなる。外界にある一つの言葉から連想を広げる。そのことが、語彙をふやし、言葉への感覚を磨いてくれるのです。そして、相手の言葉の世界をのぞいてみる。この訓練で、自分の言葉の世界が広がります。不登校の学生は、学校に通っている子が持っていない、「ことばの強み」を作るのです。これが、「受験対話」からの提案です。

自分の人生を楽しく充実したものにするために、
一人で歩けるようになるまで一緒に歩きます。